(おのず)(から)(みち) 407 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

人と動植物の違い1

           (()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

本題に入る(いき)(さつ)

 平成15(2003)2月号に、『人は猿の子孫か?』で、教祖が否定する理由と共に、今月の話題と類似した内容をお伝えしました。

 最近、人間とそれ以外の生き物との違いについて聞かれた事の問答(Q&A)に、21年前の内容を若干交えて紹介します。

Q1.神雑誌の「自然の道」を拝読して疑問に思ったのですが、人は死後、(ひの)(わか)(みや)に帰り昇る、(あるい)()()で反省するとのことです。

 だったら、人間以外の動物や生き物は死んだらどうなるのでしょうか?。人間以外の生き物の霊に(:注)()(こん)はないのでしょうか?

:注四魂=本教に伝わる霊魂観。人に霊魂は一つだが、その働きが(さき)(みたま)(にぎ)(みたま)(あら)(みたま)(くし)(みたま)と喜怒哀楽を司り、生前・帰幽後の役割が伝わる。

 動植物の四魂はあるか?、で若干触れる。

A1.死後はもう一つ迷いの世界がありますが、ここでは触れません。

人は神の直系の子孫(人は猿の子孫か)

 御教祖が伝える神道の考え方は、人は神の直系の子孫と(とら)える事です。

 人は万物の長というこの考え方は、見方によっては(ごう)(まん)に感じるでしょう。しかし、

 これは教祖独自の神観ではなく、神、(あま)()(みくに)()()()(がみ)()(がみ)を生み出して来た、日本民族、延いては人類の叡智の一環なのです。

 一神教のユダヤ・キリスト・イスラム教やその他(:注)(じん)(ぞう)(きょう)も、短絡的にこの考え方を真似して、自然は神から人の為に戴いたとします。

 例えば、それを()(ちょく)に信じてヨーロッパの森の大部分を伐採して(ぼく)(ちく)を行った結果、ペストを招くという間違いを犯しています。

 一方、(さと)(やま)を大切に育てた日本は、(たか)(ふくろう)等の(もう)(きん)(るい)がネズミの繁殖を抑えた為、コロナと同じく、比較的軽くて済んでいます。

 人類・民族の叡智の集積であ(:注)(てん)(ぞう)(きょう)である神道でも、自然は人の為に神から戴いたと考ますが、自然との共存も指向するのです。

:注それぞれの教祖が創ったとされる人造教と、  人類・民族の叡智から形成されたとされる天造教とを本教では区別する。

 ここでも何度も触れているので、詳述しない。

 一神教と自然教の、似て非なる所は、だから、なんでもして良いのではありません。

 そうした考え方は、例えば植民地をただ(さく)(しゅ)するだけの対象と勘違いしてしまうのです。

 その結果、現地の人を迫害し奴隷にしても罪悪感を感じなくてもよい、という理論付けになったのですから、恐ろしいことです。

 古来の日本人は、エスキモーやナバホインディアンのように、叡智の一つとして、自然との共生の心が強く備わっているのです。

 自然と人とは、神からすれば兄弟姉妹のようなものと考えます。そして動植物は、その自然の子孫と考えます。

人間以外の動物や生き物は死んだらどうなる?

 人が先祖である神の世界に戻るように、動植物を生んだ自然に戻るのだと思います。

 人や自然は神の子、動植物は自然の子と考えます。

 人は親である神の御許に帰り、動植物は親である自然に帰ると考えます。

 人間との違いは、反省や祓いや、子孫を見守る意識が薄い事でしょう。

動植物に四魂はあるか?

 人以外の動植物にも四魂が有るか無いかは、御教祖の書物を確認してと言うかどう書いてあるのか私は見つけていません。

 しかし、数ある教書から、推測出来るように思います。

 私は、四魂の例えば喜怒哀楽に通じる感情等の傾向は有っても、人のようにはっきりと別れている訳ではないように感じます。

 それは、神や大自然にそのような感情があっても、直ぐに善を()め、悪を(とが)めるような事が無いのと同じです。

 人に比べ知能の低い動植物は、そうした神や自然の感覚をそのまま(うす)めた存在のように感じます。知能が高くなるにつれ、子どもの死を(なげ)く鳥獣もいるそうですし、犬猫や猿は、意地悪をすれば怒ります。

 そうした区分けは、知能に応じて()なるように思います。人は神を小さくした存在で、動物は神を薄めた存在のような感覚です。

 知能が高くなるほど、荒魂の怒りや哀しみや積極性はありそうですし、和魂の喜びなだめる感覚もある事でしょう。

 奇魂の知恵や夢を見ることもあるでしょうし、幸魂が残りの三つを制御・調整する事もあるでしょう。しかし、動植物が先祖となって子孫を守る意識は、薄くなったと思われる現代人にも、遠く及ばないと感じられます。

人と動植物の関係

Q2.自然も動植物も神が生んだものだが、(あま)()(かみ)()()(たま)を戴いているわけではない、という考え方でよろしいでしょうか?

 私は神道では自然=神々として(あが)めるものだと考えていましたが、自然そのものが神というわけではないのでしょうか?

 私は自然=神だと思っていたので、動物などの生き物が自然の子孫だと言われますと、それって神の子孫ということではないの?と考えてしまいます。

A2.直接ではなく、自然を通して二次的に戴いていると考えます。

 自然と神なる宇宙・大自然を区別するのと、人が神の直接の子孫と考えるのに対し、動植物は一般的な自然の子孫、と区別するのです。

 分かり易い捉え方として、神・宇宙・大自然を大元とすると、一般的な自然と人を兄弟姉妹のように考えます。

 動植物は一般的な自然の子孫で、人からすると甥姪のような関係ながら、食べても良いとされます。(ちな)みに仏教が肉食を禁じたのは、動物だけに生まれ変わると信じることから、祖先を食べる事を恐れた為だそうです。

 日本民族の叡智を伝える本教では、万物は同源ながら、人は神の直系で一次的な生物で、動植物は二次的な生物と(とら)えるのです。

 同じ神の気を戴きながら、直系の人間同士の共食いはありませんが、他の動植物は神から人への(たまわ)り物として戴きます。

 それが人と動植物の位置関係と考えます。

 動植物は、神・大自然の二次的な生物であり、直系の人の為の副産物と考えるのです。

 微妙な部分があるのですが、ご理解頂けたでしょうか

 動植物も神の気は戴いてますが、神から直接の分霊を戴いているとは考えないのです。

Q3.森羅万象、全部神といえば神なんでしょうけど、細かく分けるとそうなるんですね。

A3.信仰の核心である(あめに)(ます)(もろもろ)(のかみ)と、その()(まけ)(=委託・命令)を受けてご利益を下される(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)がおられるような感覚ですね。

令和6年11月号 No.1329  2024-11

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